7. 妻の疑問・夫の母親じゃない!
結婚して18年経ちました。
子どもは高校生の息子と、中学生の娘の二人です。
子育ての大変さはあっても、他に大きな事件も事故もなくやってこれました。
幸せな家族なんだと思います。
年に1回の家族旅行は、我が家の習慣になっています。
温泉に入って、美味しいものを食べてという当たり前のパターンですが。
でも今年は上の子が、一緒に行くのを断りそうな雰囲気でした。
子ども達が独立するのはまだまだ先の話ではありますが、淋しさを感じます。
私は、今40歳代半ばになりました。
高校生の子供がいるとは見えない若さだと誉められて悪い気はしません。
でも最近、このまま私の人生は終わるのかしらと、虚しくなるんです。
主人にお母さんって呼ばれると、私の女の人生は、この男性で終わりなんだって。
正直な気持ち、どこかに物足りなさと怒りのようなものを感じているんです。
決して主人を嫌っているわけではありません。
でも、私はあなたの母親ではなくて妻なのよ、と大声を出したくなってしまう。
育児が忙しくなってから、私達は夫婦というより、家族か友達かになりました。
そうです、夫婦関係を終了させてしまったのです。
子どもが小さい頃はそれほど気にもしなかった私にも責任はあるとは思います。
友人に聞いてみましたら、皆似たり寄ったり。
何なんでしょう夫婦って。
夫婦は、家族の一員というだけの意味ではないはずですよね。
年をとって考え方が変わるとも、その時に後悔しても間に合わないとも思う。
こんな考えに苛々する私を、主人は更年期障害かい?なんて笑っているんですよ。
上の子の受験勉強が大変になるって時、こんな考えの私は母親失格でしょうか。
50歳に近づいた女性の多くが同じ悩みに苦しんでいます。
更年期障害だなんてとんでもない。
女性として、ごく正常な悩みです。
原因のほとんどは、幼さ、特に夫の幼さにある様です。
家系を守る婚姻の時代は、家には父が居て母が居て、夫は家長、妻は嫁でした。
自分達だけの家族では、夫は家長ではなく妻に守られる息子になってしまった。
妻の言う事を聞く息子ではなく、大きな顔でなんでもやってもらう息子です。
面白いことに、妻のほとんどが悩んでいるのに、夫は至極平安で安心している。
実は、これは不思議でも何でもありません。
夫婦の間に、素晴らしいセックスが一度も存在しなかったからなのです。
この辺りは、依然として旧態の家族婚の時の夫婦のままだった。
古い日本家屋を見れば、夫婦間のセックスが、子どもを産むためだけの
ためだったことが理解出来ます。
夫婦の寝室に、プライバシーはなしですから。
隣に寝ている親夫婦との間は、襖で仕切られ、天井の下には欄間があって、
どんな音も筒抜けなのです。
夫婦が肉体的会話をするなど、はしたなく汚らわしい、許されない行為でした。
夫婦の寝室の中でも男性上位だったというお粗末な一席と笑うしかありません。
人間の性行為は、動物とは違って、女性の心が動けば1年中可能です。
さらに女性の身体には、いつでも性行為を可能にするボタンがたくさん
備わっていて、
これを丁寧に押せば、最高に素晴らしいセックスの扉が開くのです。
人間と動物とが絶対的に違うのは、心があり、そして文化を持つことでした。
ですから、正常な人間らしいセックスは、単に射精して終わりではないのです。
心の活動があって、歓喜があって、そして射精があって子が生まれる。
だから、人間だけが結婚して、家庭を造るのです。
人間らしく一応は結婚をしながら、子どもを産むためだけのセックスしかない。
これでは、家族はあっても、中心になる夫婦が不在で半端な家庭です。
妻の心が半分外にはみ出していますもの。
でも、夫はそんな妻の心に気づこうともせず、息子の気分で安心しています。
こんな時に、妻の恋が始まっても、誰がそれを批判出来るのでしょうか。
問題は、古い男女関係の観念が、何割かの男性と高齢者に残っていることです。
男性上位の秩序を保てば良しとした観念を、今でも残したい甘えん坊夫族。
妻が生活のむなしさに苦しんでいる頃、夫族は夜の街で友人と美しい女性に
囲まれてご満悦です。
家に帰ったら、お母さんに叱られるかなあ、なんてつぶやきながら。
さて、今苦しんでいるあなたです。
恋でもしますか。
でも、それでは応急措置ってことで、根本の問題は解決しませんね。
では諦めますか、人生を。
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Mizuho Mi Suguri