1. 古い観念との衝突
先月、やっと娘を嫁に出しました。
それはおめでとうございます。でもお淋しいでしょう。
いえいえ、これで女の子は全部が片付きましたから、ほっとしていますよ。
でも、息子さんは、まだ独身でいらっしゃいましたよね。
そうなんですよ、息子にも早く嫁を貰わなくてはいけないのですが、
いつまでも幼くて困ります。
どこかに良いお話はありませんかしら。
ええ、ええ、私も気にかけておきましょう。
子どもはある年齢になったら親の家から出て独り立ちするものと
決まっている社会では、
考えられないような会話が、
わが国では、まだちらほら聞えてきます。
心が独り立ちするまでを親の責任と思うか、
結婚させるまでを責任と思うか。
この様な日本独特な親の考え方も年々変化しているようですが、
結婚についての観念は依然として根強く、
新婚生活に微妙な影響を及ぼしています。
現代は恋愛して結婚するのが普通ですが、敗戦前、
今から65年前までの日本では、
ほとんどがお見合い結婚でした。
そんな遠い昔話に現代人は関心はないかもしれません。
しかし、そのころの結婚観が今でも親世帯の頭の中にあるとしたらどうですか。
当時まで、結婚は男性の血統を守るため、家同士の絆を造るためのもの
でしたから、
家の格、そして年齢が重要な条件だったようです。
結婚は家同士でするという歴史的日本社会の観念は、そう簡単に
消えるものではありません。
結婚した途端に、両方の親や親類が出てきて、家族婚の様になっていませんか。
特に、夫側の家族は、結婚で嫁を貰ったつもりになっているかもしれません。
つまり、他家の娘を貰った。
結婚したことで、女性は自分の親の家から出て、夫の家族に貰われ嫁になる。
こんな人身移動が、自然に、多数の人々によって自然に行われたために、
気がついたら妻になっただけではなく、嫁にもなったと思わされてしまうのです。
あれ、私は、妻であるよりも嫁でなければいけないの?
何か、変、変だ。
結婚ってこんなことだとは考えていなかった、どうしよう、どうしよう。
家と家との結婚。
そんな日本風しきたりが、親世代の観念に生きています。
お互いを愛して結婚したい当事者の思いと、家を大事に思う観念との衝突です。
嫁に出すとか貰うとか思うのは止めてください、私は物ではないのですから。
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Mizuho Mi Suguri