2. 男は開拓精神を失ってはいけない
これらの、素晴らしい能力が、文明を現代の様にまで発展させてきた。
文化を創るのは女らしい女性の得意分野、文明を発展させるのは
男らしい男性が得意ということだ。
男らしさ、未知を開きたい欲望、開拓精神は、規制がかかることで
さらに強くなる特質を持っている。
貧困、差別、観念的思考など規制があると、
男らしさは反応し、いっそう勢いがつく。
反面、理想的な平等社会で、男らしさは育ちにくいかもしれない。
理想的社会を存在させようと、不平等社会の中で戦い公平な社会を求め、
やっと成果を勝ち取ったと思ったら、男らしさが社会から持て余されていた
という悲劇は、
歴史的にいくらでも見つかるだろう。
しかし個人的な魅力は、社会とは別のところにもある。
男らしい男性の思考は常に改革を求め、大きくても小さくても社会を異質な文明へ
導こうとする気力に満ちている。
ということは、女性がオバサンになってはならないように、
男性も開拓精神を失うオジサンになってはならない…社会のためにもだ。
開拓精神を失って、思考が守勢に入ったら、男性的魅力は見つけにくい。
男性のほとんどが魅力的でない状況になったら、社会の進化は停滞するだろう。
社会の進化のためにも、男性はいつまでも男らしい存在で居て欲しいものだ。
簡単に男らしさを放り出して頑固オヤジになってはいけないということ。
改革派や改良派だった男性が、突然現状維持派へ移行する姿を見ることは多い。
実生活でも、ある年齢になったら、ひたすら現状維持に拘るのは、
不思議な事に男性に多く見かける。
あれ、この人ったら男としての人生を終了してオヤジ男性になってしまった。
オヤジサンは、もう二人で一人の人生を生きてはいない。
もう一人の彼は何処へ行ってしまったのだろう。
ある頃からもう一人の自分の鎧が重たく感じられ、
一緒にいるのが疲れる様になりまして、
脱いでリサイクルショップへ
持って行きましたよ。
おやおや、あの鎧にはあなたの勇気、気取り、気概、
やせ我慢が入っていましたのに、
そうですか、売ってしまわれましたか。
こうして一人になった男性からは、男らしさが抜けて、オジサン男性が残った。
オジサン男性は、鎧をうっかり売り渡してしまったため、
生きて行くのが不安で仕方がない。
自分がいかに鎧に護られていたか、失くしてから分かっても、買い戻しは無理。
せっかく持った二人分の命の半分を返上したのは、男性としての誇りを失ったこと。
意地悪く言えば自信が失せて当然だ。
二人分の命を預けられた責任を、男性は自覚して生きなくてはいけない。
社会に規制がなければ男らしくなれないという自体がおかしな話なのである。
男はどんな社会でも、男らしく魅力的で、女はどんな社会でも女らしく
魅力的であってこそ、
文化的な社会が存在する。
現代社会に生まれた男性が、男らしい気概をもって未知の社会を切り開く。
そうして見せられる新しい社会に、女らしく魅力的な女性が、
美しい彩りを施し、
住みやすい社会に仕上げてゆく。
女性が自然児であるのに対して、男性は人工的?である。
父親である男性から、
「子どもが欲しい」と一本釣りされて生まれた魚の
ようなのだから、草原に放り出されたら、
意気地がなくても当然と理解はできる。
戦場ではなく、花が咲く平和な草原で、男性は男らしさの出しようがわからない。
すると、現代の男性は、男らしさをスポーツの世界でしか発揮できない?
しかし、そんな現代でも、二人分の命を持って生まれるのだから、
スピードと勢いで、
見えない壁を破き未知の世界をオープンする男性で
あって欲しい。
あまった力がおかしな方向へ向いてしまわないためにも。
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Mizuho Mi Suguri